東京地方裁判所 昭和58年(行ウ)130号 判決
原告
福田徹夫
右訴訟代理人弁護士
石原寛
吉岡睦子
加藤廣志
被告
渋谷税務署長
柳澤昭
右指定代理人
高須要子
外四名
主文
1 被告が原告に対して昭和五七年二月二七日付けでなした昭和五三年分所得税の総所得金額を金四六二九万五五六一円となる再更正(ただし裁決による一部取消し後のもの。)のうち総所得金額が一九〇六万五六二六円を超える部分及び過少申告加算税賦課決定のうち同税額三万一九〇〇円を超える部分をいずれも取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一 当事者の求める判決
一 請求の趣旨
主文と同旨
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 本件課税等の経緯
原告の昭和五三年分の所得税につきなした青色申告による確定申告及び修正申告、被告の更正、昭和五七年二月二七日付け再更正及び過少申告加算税の賦課決定、並びに前置手続の経緯は別紙1に記載のとおりである。
2 不服の範囲
原告は、被告が昭和五七年三月二七日付けでなした原告の昭和五三年分所得税の総所得金額を四六二九万五五六一円とする再更正(但し、裁決による一部取消し後のもの。以下「本件再更正」という。)のうち総所得金額一九〇六万五六二六円を超える部分及び過少申告加算税賦課決定(但し、裁決による一部取消し後のもの。以下「本件賦課決定」という。)のうち同税額三万一九〇〇円を超える部分につき不服である。よつて、右各不服部分につき、その取消しを求める。
二 請求原因に対する認否
請求原因1の事実は認める。
三 抗弁
1 総所得金額
原告の昭和五三年分の総所得金額は次のとおりである。〈編注:別掲の表〉
区分
項目
金額(円)
摘要
1
配当所得の金額
九三九、二三二
原告の申告額と同金額である。
2
給与所得の金額
一八、一二六、三九四
原告の申告額と同金額である。
3
一時所得の金額
二七、二二九、九三五
4
総所得金額
四六、二九五、五六一
1+2+3
2 一時所得の内容(本件借地権返還)
(一) 土地賃貸借の紛争
原告は、かねてよりその所有にかかる東京都渋谷区西原一丁目一二番地三所在の土地二八五・六一平方メートルのうち一三二・二三平方メートル及び同番地四所在の土地三四〇二・六八平方メートルのうち八五九・五〇平方メートル(合計九九一・七三平方メートル。以下「旧貸地」という)を訴外亡春山力造(以下「力造」という。)に賃貸していたところ、右両当事者間において、昭和三九年一〇月三日、右土地の賃貸借期間を昭和三九年一〇月一日から満二〇年とすること、その使用目的は普通建物所有であること等を内容とする調停(東京地方裁判所昭和三八年(ユ)第二〇一号事件)が成立した。
力造は、旧貸地上に九棟の建物を所有し、うち一棟に自ら居住し、他の八棟を他に賃貸していたのであるが、昭和四三年三月二三日、そのうちの一棟(梅木八千代賃借建物約七二・二三平方メートル)が火災により焼失した。原告は、直ちに力造に対し原告の承諾なくして焼失建物の敷地上に建物を再建築してはならない旨通知した。ところが、力造(同年四月九日に死亡)の相続人春山清高(以下「清高」という。)は、昭和四四年四月ころ、原告に無断で右焼失建物の敷地上に建物を再建築し、これを梅木八千代(以下「梅木」という。)に賃貸した。以来、原告は旧貸地の賃料の受領を拒否し、清高はこれを供託するなど原告・清高間で紛争が生じていたところ、原告は昭和四六年に清高と梅木を被告として右再建築した建物及びその敷地について建物収去土地明渡等を求める訴訟(東京地方裁判所昭和四六年(ワ)第六四一六号建物収去土地明渡請求事件。以下「建物収去土地明渡訴訟」という。)を提起したが、原告の請求はいずれも棄却された。
(二) 裁判上の和解
右事件の控訴審(東京高等裁判所昭和四八年(ネ)二七一六号事件)において、昭和五一年一〇月四日、原告と清高との間で別紙2の1ないし3記載のとおり裁判上の和解(以下「本件和解」という。)が成立した。
(三) 本件土地の明け渡し
原告は本件和解に基づき、昭和五三年五月八日清高から二五九・八六平方メートル(七八・六〇八坪)の土地(本件和解第一項にいう本件明渡土地に相当する。以下「本件土地」といい、その借地権を「本件借地権」という。)の明け渡しを受けた。
(四) 所得の発生
一般に、建物所有を目的とする借地権は長期にわたつて存続する独立の財産として保護されており、この借地権の譲渡は有償でなされることの慣行のある地域がある。このような地域において、借地権の返還を受けるには、借地契約期間の満了により更地でかつ借地人から何らの異議なくして借地を明渡す場合を除き、貸主は、相応の対価を支払うのが通常であるから、何らの対価の支払なくして借地権の返還を受けたときは、貸主は借地権価額相当の経済的利益を享受したことになり、課税所得が発生する。
本件土地の所在地域でも慣行として有償で借地権の譲渡が行われており、かつ、本件土地の返還は、賃貸借契約期間満了前で、しかも原告と清高との長年にわたる紛争を解決するため裁判上の和解に基づいてなされたものであるから、本来なら相応の対価が支払われて然るべきであるのに、原告は清高に対し、かかる対価を支払つていない。
したがつて、原告は本件土地の返還により借地権価額相当の経済的利益を得たことになり、同利益に相当する課税所得が発生したものである。
(五) 一時所得であること
本件和解は、次に述べるような種々の利害、紛争を一括して解決することを意図してなされたものである。
(1) 原告が清高及び梅木を被告として争つていた建物収去土地明渡訴訟を終結させること。
(2) 原告が将来、清高に対し継続して賃貸する場合の貸地の更新料及び同人の借地権譲渡に係る承諾料に伴う問題の処理
(3) 将来の地代値上げに伴うトラブルの回避
(4) 借地上に存在する建物の朽廃に伴うトラブルの回避
(5) 借地契約の期間満了時におけるトラブルの回避
右のとおり、本件和解の目的の一つには、更新料・承諾料に係るものも含まれているので、もし、右の金員授受の取り決めが本件和解の最重点であり、その余の目的は単に付加したにすぎないというのであれば、本件借地権返還による原告の利益は不動産所得であると解しえないでもない。
しかし、右訴訟提起の経緯、本件和解により原告が返還を受けた土地の位置・範囲、本件和解条項の内容、清高が本件和解に応じた真意等からするならば、右更新料、承諾料に係る問題の処理が、本件和解の最重点と言えないことは明らかである。
しかして、更新料・承諾料に係る問題の処理のために取得した利益が特定し区別できるのであれば格別(その場合は、右利益のみが不動産所得となる)、本件においてはかかる区別は存在しない。
したがつて、本件土地の返還にかかる利益を不可分一体のものと解さざるを得ないところ、原告は右(1)ないし(5)の利害を一括して解決するために本件土地の返還をうけたものであるから、これに伴う利益は一時所得に該当するものである。ちなみに、同所得を一時所得と解することは、原告にとつて有利となることはあつても不利とはならない(所得税法二六条二項・三四条二項・二二条二項二号)。
(六) 所得の帰属年分について
(1) 所得とは、本来経済的な概念であつて、専ら経済的・実質的に把握すべきものであり、実際にその利得を自己の為に享受している場合に課税所得を構成するものと考えられる。このような所得概念からすれば、納税者が経済的・実質的に利得を享受したというにふさわしい時期をもつて課税の時期とすべきである。
そこで、本件借地権の返還による利益について、その帰属年分をみると、原告は和解によつて本件借地権の返還請求権を取得したものの、本件土地上には清高が所有し、居住する建物が存在し、原告が本件土地について使用収益を開始し、経済的利得を享受するためには、右建物を取り壊した上で本件土地(借地権)の明渡しを受けなければ何ら意味をなさないものである。この明渡しは、和解条項一に基づいて昭和五三年五月八日に実行されているものであり、この日以降原告は本件土地に対する使用収益が可能となり、その経済的利得を享受し得る状況に至つたものである。したがつて、本件所得の帰属年分が昭和五三年となるのは疑いを容れないところである。
(2) 資産の移転についての税務の取扱いは、引渡し時点を基準として考えられている。例えば個人が法人から資産を無償又は低い対価で譲り受けた場合に、当該法人には譲渡益が発生し、個人には受贈益が発生することとなる。この場合、法人は法人税基本通達二―一―一又は二―一―一四により資産の引渡し日に収益を計上することとなるが、それに対する個人の所得についても同様に引渡し日を基準に収益の計上をしている。
また、所得税基本通達三六―一二によると、譲渡所得の総収入金額の収入すべき時期は、資産の引渡しがあつた日とされている。つまり、引渡しがポイントとなつており、このことは資産の取得についても同様に考えるべきである。例えば個人が法人に対して資産を寄贈した場合、当該個人には譲渡所得が発生し(所得税法五九条一項一号)、法人には受贈益が発生することとなる。この場合、当該個人の譲渡所得の収益計上時期は、前記通達により資産の引渡時とされるが、資産の取得者たる法人の受贈益計上時期についても同様引渡時とされるものである。
なお、所得税法三六条二項には「前項の金銭以外の物又は権利その他経済的な利益の価額は、当該物若しくは権利を取得し、又は当該利益を享受する時における価額とする」と規定されている。
本件借地権を「物」と考えるのか「権利」と考えるのかについてはともかく、いずれにしても、経済的・実質的に考えて原告が本件借地権を取得したのは昭和五三年五月八日の明渡時であるから、この時の価額で収入金額を計算すべきこととなる。つまり、昭和五一年の和解時には収入金額の計算が不可能であることからしても、昭和五三年の本件借地権取得時において所得の実現があつたものと考えるべきである。
(3) もつとも、所得税基本通達三六―一三によると「一時所得の収入すべき時期は、その支払を受けた日によるものとする。ただし、その支払を受けるべき金額がその日前に支払者から通知されているものについては、当該通知を受けた日……」とするとされるが、右の但書は、通貨及び通貨代用証券の授受を前提として規定されたものであつて、本件のような物件の授受について規定したものではない。以下その理由を述べる。
ア 前記法人税基本通達及び所得税基本通達にみられるとおり、資産の移転についての税務の取扱いは引渡時を基準として考えられている。
イ 所得税法三六条二項の規定により、本件収入金額は、昭和五三年五月八日の明渡時の価額で計算すべきものであるから、昭和五一年一〇月四日の和解時においては、収入金額が未確定なるが故に所得税法基本通達三六―一三但書に言う「支払を受けるべき金額」の「通知」は成し得ないものである。
ウ 右「通知」によつて、金銭債権が確定した場合においては、債権者は弁済期前においても、当該債権を譲渡し又は当該債権に質権の設定をする等、種々の方法でその経済的利得を享受することが可能であり、故に所得の実現があつたと考えることが合理的であるが、本件のような物件の引渡し請求権にあつては、その譲渡等は極めて困難であり、現実に引渡しを受けるまでは、その経済的利得の享受は不可能である。
(七) 収入金額 五四九五万九八七〇円
本件土地の一平方メートル当りの借地権相当額は、本件土地返還時の直近における近傍類似の借地権取引事例地一平方メートル当りの売買価額(別紙3の表1)に、時点修正率(同表2)及び場所的価格差修正率(同表3)を乗じて算出した評価額(同表4⑤欄)の平均金額二一万一四九八円である。
本件土地の面積は二五九・八六平方メートルであるから、その借地権相当価額は五四九五万九八七〇円となる。
(八) 課税一時所得の金額 二七二二万九九三五円
右(七)の収入金額から所得税法三四条二、三項に規定する特別控除額五〇万円を控除し、更に同法二二条二項二号により二分の一を乗じた金額である。
3 本件賦課決定の適法性
本件更正処分により原告が新たに納付すべきこととなる所得税額は一五八二万三三〇〇円(審査裁決による一部取消後の額)となるため、被告は国税通則法六五条一項の規定に基づき右所得税額(昭和五九年法五号改正前の同法一一八条三項により一〇〇〇円未満の端数切捨て)に一〇〇分の五を乗じて計算した金額七九万一〇〇〇円(右改正前の同法一一九条四項により一〇〇円未満の端数切捨て)を過少申告加算税として賦課決定した。
したがつて、本件賦課決定処分は適法である。
四 抗弁に対する認否並びに反論
1 抗弁1のうち、配当所得及び給与所得の各金額は認め、その余は争う。
2 同2(一)の事実は認める(但し、焼失建物の賃借人は小林成一であつた。)。
同2(二)の事実は認める。
同2(三)の事実は認める(但し、明け渡し面積は三〇五・四四六平方メートルである。)。
同2(四)の事実は否認する。
同2(五)ないし(八)の各主張は争う。
3 同3は争う。
4 処分理由差換えの違法性
被告は本件再更正において、本件土地の返還につき、所得税法二六条一項の不動産所得に該当するとしたにもかかわらず、本訴訟においては、同法三四条一項の一時所得に該当する(裁決における判断と同旨)として、本件再更正の適法性を主張している。
しかし、青色申告にかかる更正等について、取消訴訟における処分理由の自由な差換えを認めることは、厳格な理由付記を要求し、手続的保障を図ろうとした法の趣旨に反するものであつて、許されない。
5 一時所得の不存在
清高は次の理由から本件和解に応じたものであり、被告主張の如き紛争解決のために本件土地を返還したものではないから、一時所得は存在しない。
(一) 借地権譲渡の事前の承諾の対価性
清高は、昭和三二年以来、家族とともに渋谷区西原二丁目二六番四号に居住していたが、昭和五〇年当時、右居住建物が老朽化したため、右建物を取り壊して鉄筋アパートに建て替える計画をたてていた。
そこで、右建築資金調達のため、原告より借りていた旧貸地上の八棟の建物を取り壊した上、新建物を建築し、第三者に売却して収益をあげようと考え、建物収去土地明渡訴訟が控訴審に移行し、和解の話合いに入つた昭和五〇年ころから、清高は、本件土地を原告に返還する代わりに旧貸地の残りの部分についての借地権譲渡を事前に承諾することを原告に申し入れてきた。そして、本件和解は、基本的にこの清高の申し入れに沿つた内容で成立したものである。
ちなみに、昭和五一年当時の本件土地付近の更地価格は、坪あたり約八〇万円であつたが、借地権価格を七割として、清高が第三者に譲渡した約二二〇坪の譲渡価格を試算すると一億二三〇〇万円余りに達するが、このような巨額の利益が得られたところにこそ、清高が和解に応じた原因があつたのである。
(二) 借地権の存続の困難性
本件土地上の建物は、非常に老朽化していたうえ、昭和四六年以降空家となつており、清高としては、自己使用する必要性がなかつたため、原告に本件土地の無償返還を申し入れた。
借地権の無償譲渡はおよそありえないものではなく、現に、所得税基本通達五九―五(3)は、「借地上の建物が著しく老朽化したことその他これに類する事由により、借地権が消滅し、又はこれを存続させることが困難であると認められる事情が生じた」場合、借地の無償返還を課税対象から除外している。
被告は、清高が和解に応じた原因として、地代の値上げが予想されることや、更新料等の問題を主張するが、これらの事実は、まさに借地権を「存続させることが困難であると認められる事情」にあたるものである。
ちなみに、原告は昭和五一年分の原告の所得税確定申告書に本件和解調書を添付していたが、その更正及び裁決において、本件土地の返還が無償であることを認めながら、なんら課税対象としなかつた(万一、本件士地の無償返還が一時所得となるとしたら、被告は昭和五一年分として課税すべきであり、かつ、できたものである。)。
6 所得の帰属年分について
(一) 仮に原告に借地返還による所得があつたとしても、右所得の帰属年分は本件和解が成立した昭和五一年である(所得税基本通達三六―一三但書)。
本件土地については、本件和解成立の日以降、賃貸借関係がなく(和解条項一)、賃料の収受もないから、昭和五三年五月三一日まで明渡しが猶予されたに過ぎない。
(二) 仮にそうでないとしても、清高による本件土地の返還と旧貸地の残余の土地についての再賃貸借契約及び借地権譲渡の事前の承諾とは対価関係があるところ、原告は清高との間で本件和解成立日である昭和五一年一〇月四日新たに右残余の土地について賃貸借契約を締結し、また、いずれも右新規契約に基づく借地権の各一部の譲受人である北條時雄及び白川太一との間でそれぞれ昭和五二年七月一日、矢崎昭夫との間で同年八月一四日、内藤紘との間で同年同月二〇日、白木修との間で同年九月一日、里形佳代子との間で同年一〇月一一日、広瀬邦樹との間で同年同月一六日、尾澤芳雄との間で同年一二月一日、杉浦守との間で同年同月六日、杉本佐四郎との間で同年同月二五日、石川智との間で昭和五三年四月一日に、各譲渡の事前承諾を踏まえて、それぞれ当該旧貸地部分の賃貸借契約を締結したから、その各契約締結時に順次原告の所得が発生したとみるべきである。
第三 証拠〈省略〉
理由
一請求原因について
請求原因1(本件課税等の経緯)の事実は当事者間に争いがない。
二配当所得及び給与所得について
抗弁1のうち、配当所得及び給与所得の各金額は当事者間に争いがない。
三本件土地明け渡しによる所得の有無について
抗弁2(一)(土地賃貸借の経緯。但し、焼失建物の賃借人の点を除く。)、(二)(裁判上の和解の成立)及び(三)(本件土地の明け渡し。但し、その面積の点を除く。)の各事実は当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、本件土地の面積が三〇五・四四六平方メートルであつたことが認められ〈る。証拠判断略〉。
そこで本件土地の明け渡しによる原告の所得の有無について検討するに、〈証拠〉を総合すれば、東京都渋谷区西原一丁目地内において、本件和解時に近接して、別紙3の表1のとおり四例の借地権の有償取引事例があること、本件土地上に存在した建物は戦前に建築されたものではあるが、本件和解時においても依然として居住の用に耐え得たことが認められる。そして、旧貸地の賃貸借期間が昭和三九年一〇月一日から二〇年間であつたことは当事者間に争いがない。
右の各事実に照らせば、原告は本件土地の明け渡し約定によつて、その借地権相当価額の経済的利益を得たものと認められ、右認定を左右する証拠はない。
四所得区分について
〈証拠〉を総合すれば、次の各事実が認められる。
1 原告・清高間の建物収去土地明渡訴訟の控訴審裁判所は、第一回口頭弁論期日において弁論を終結したが、その後、原告(控訴人)側の申立てにより、約二年間にわたり和解が勧試され、本件和解の成立に至つた。
2 清高側の訴訟代理人は、第一審で勝訴していたし、控訴審でも勝訴することは確実と見通していたので、本件和解の勧試に応じることに当初は反対であつたが、清高本人は、第一審で勝訴したものの、原告から地代値上げを示唆されるなど、新たな紛争の発生も予測されたところから、清高としては親子二代にわたる紛争の終結は望むところであつた。しかも、旧貸地上の建物は、いずれも古いものであるため家賃の値上げが困難であり、貸家として現状のまま維持することは採算的に得策ではないと考えられる状況にあつたところ昭和五九年に到来する土地賃貸借期間満了時の契約更新には相当高額の更新料(後掲春山定夫の試算では三千万円を下らない金額)の支払いを要求されると見込まれていたことから、経済的得失に重点を置いて本件和解の勧試に応じることとした。
3 そこで清高は、右和解勧試をきつかけとして、建設会社の社長である従弟の春山定夫(以下「定夫」という。)の助言により、旧貸地上に存在した貸家八棟を収去し、その跡地に一三棟を新築してそれぞれを借地権と共に売却できるような和解案とし、その代金をもつて東京都渋谷区西原二丁目二六番地一七に清高が所有する建物を五階建てマンション(本件和解後にメゾン春山として建築されたもの)に改築する計画を立て、本件和解に臨んだ。
4 控訴審において原告(控訴人)の訴訟代理人となつた石原寛弁護士も、弁護士の立場から法律的にみて原告の勝訴は有りえないと見通していた(この点では清高側の訴訟代理人と同じ見通しであつた。)ので、本件和解によつて旧貸地が細分化され、新築建物と共に借地権が第三者に譲渡されれば、将来、各譲受人との間で地代の値上げが現在より容易になり、原告にとつても得策であると考え、当面は本件土地(本件借地権)の返還という経済的利益の収受に甘んじて、本件和解案を受諾することを原告に勧めた。
5 清高及び同人を事実上代弁して本件和解に臨んでいた定夫の側においても、本件土地(正確には本件借地権)の返還を承諾することによつて、①権利金あるいは更新料の支払を要しないで、本件土地を除く旧貸地の新賃貸借契約の期間が本件和解成立の日(昭和五一年一〇月四日)から二〇年間と約定される点で、従来の賃貸借期間の更新に準ずる経済的利益を収められること、②さらに、本件和解成立から四年の期間内は、あらためて承諾料の支払いを要しないで、本件土地以外の旧貸地の借地権を分割して地上建物(建売用新築建物)と共に売却できることになり、相当の収入が期待できる結果、メゾン春山の建設が可能になるなどの経済的実益を得られることから、本件和解案を受諾し、これに基づく本件土地の明け渡し義務を期限内に履行したものであつた。
6 清高は本件和解に基づいて、本件土地を除く旧貸地上に一三棟の建売住宅を建築し、それに対応して同土地の借地権を細分化し、各地上建物を当該借地権と共に売却して、その代金を前記メゾン春山の建設資金に当て、同マンションを昭和五三年三月には完成させた。
以上の認定事実、抗弁2(一)のうち前記三挙示の争いない事実及び当事者間に争いのない本件和解の内容(条項)によれば、本件和解の成立によつて本件借地権を消滅させたことにより原告が得た経済的利益は、本件土地を除く旧貸地の新たな賃借権の設定に対するいわゆる権利金というより、実質的には同土地に存する従前の借地権の更新料的性質(従前の賃貸借期間の残余が約八年あつたから、実質は約一二年の期間の延長を得たことの対価とも言える。)の収入である部分及び不特定の相手方に対する同土地賃借権の区分譲渡についての事前の承諾料(名義書替料)収入である部分がその主体であつたことは明白である。
被告は右の原告の利益を一時所得であると主張するが、右の実質上の更新料的収入部分及び承諾料(名義書替料)収入部分を除き、純粋ないわゆる紛争解決金の授受と認められる部分は、原告の敗訴が確実であることについて、建物収去土地明渡訴訟の当事者双方の訴訟代理人の見通しが一致していたことからみても、殆ど存在しないか、仮に存在しても極く僅かで、経済的、実質において右借地権返還という原告の取得利益は、全体として不動産所得に当たるとするのが相当である(この点では原処分の判断と同一である。)。
もつとも、右所得の区分をどうみるかは法律判断事項であるから、抗弁の当否を判断するため、更に右不動産所得の帰属年分について検討する。
五所得の帰属年分について
〈証拠〉並びに争いのない本件和解条項によれば、
本件和解成立時において、本件土地の正確な地積は測量されていなかつたものの、その範囲は道路、私道からの距離、擁壁及び万年塀によつて確定しており、関係者間に争いがなかつたこと、右地積は昭和五二年五月、原告の委嘱により、石田耕一測量士が測量した結果、三〇五・四四六平方メートルと判明したこと、本件和解において本件土地の明け渡しを昭和五三年五月三一日まで猶予したのは、清高が前述のマンション(メゾン春山)を建築し、家族が移住した後に本件土地上の建物を収去する期間を充分に見込んだためであつて一時的な使用の許諾と原状回復の期間猶予に過ぎないものであり、原告はその間の損害金すら要求しなかつたこと、本件和解成立後間もなく清高は原告から本件和解により新たに賃借することとなった前記認定の土地上に一三棟の建売住宅を建築し、昭和五二年七月から本件土地の明け渡し時である昭和五三年五月までにその大部分を当該敷地部分の右借地権と共に販売して(建売住宅の建築と借地権の譲渡については前記四で認定した。)、利益を挙げたこと、原告は右各借地権の譲渡について、本件和解に従い、その都度承諾を与え、名義書替に応じたこと、
が認められ、〈証拠〉のうち、本件土地の実測のしようがなかつた旨の記載部分は措信できない。
右認定事実及び前記四認定の事実によると、本件不動産所得の帰属年分は、原告が本件和解によつて本件借地権の不存在を確定させ、本件土地の明け渡しを受ける権利が確定した昭和五一年とみるのが相当である。
被告は、原告が本件土地の使用収益を開始できたのが同土地上の現実の明け渡しを受けた昭和五三年五月であることから、右所得の帰属年分を同年と主張するが、所得税法三六条一項は必ずしも収入の実現、すなわち収入したことを基準としているものでなく、収入が確定できれば足りることは規定の文言から明らかであり、本件においては清高の本件借地権の消滅(本件和解による不存在確認)の時がこれに当たると解すべきである。現に、所得税基本通達三六―六も、名義書替料(本件における承諾料は、事前ではあるがこれに相当する。)や更新料、権利金等の収入すべき時期を「(当該貸付に係る資産の)引渡しを要しないものについては当該貸付に係る契約の効力発生の日によるものとする。」との行政解釈を示しており、本件が右にいう「貸付に係る資産の引渡し」を要しない場合であることは明白である。
被告は所得税法三六条二項を自説の論拠として引用するが、本件において更新料的収入及び承諾料(名義書替料)収入を組成するものは、本件借地権の消滅、すなわち貸主である原告による本件借地権の取得と同一の経済的利益の収入にほかならず(したがつて、原告は本件和解以後、本件土地を借地権のある底地としてでなく、借地権のない土地として所有する。)、本件土地(同項にいう「物」すなわち所有権)自体ではない。そして、右借地権(同項にいう「権利」)の取得時期は本件和解の時であるから、右条項も被告の帰属年分に関する右主張を根拠づけるものではない。
また被告は法人税基本通達二―一―一(たな卸資産の販売による収益の帰属の時期)、二―一―一四(固定資産の譲渡による収益の帰属の時期)、所得税基本通達三六―一二(山林所得又は譲渡所得の総収入金額の収入すべき時期)等が、収入すべき時期について、資産の譲渡に伴う引き渡し時を基準としている点を援用するが、所得の帰属年分は、所得の区分(種類)及び態様の相違に応じてその具体的な基準が異なる場合があり得るのであり、譲渡(販売)に関する右各通達の掲げる基準が本件の不動産所得の具体的基準としてそのまま当然に妥当するものではない。むしろ、前掲基本通達三六―六こそ本件に具体的に妥当する基準を示しているものというべきである。
右のとおり、本件において、原告の得た経済的利益の収入は昭和五一年において課税適状にあり、この意味で確定したものというべきであり、その価額の算定が不可能と認められるような事情はなかつたのであるから、帰属年分に関する被告の主張は採用できない。
六結論
以上のとおり、本件不動産所得を昭和五三年分のものとする被告の抗弁は、その余の争点について判断するまでもなく、理由がなく、当事者間に争いのない配当所得及び給与所得の合計額である一九〇六万五六二六円並びに修正申告に伴う過少申告加算税三一九〇〇円は請求の対象外であるから、原告の請求はすべて理由がある。
よつて、訴訟費用の負担につき、行訴法七条、民訴法八九条を適用し、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官山本和敏 裁判官太田幸夫 裁判官大島隆明)
(別紙1) 本件課税等の経緯
(金額単位 円)
順号
区分
年月日
総所得金額
申告納税額
過少申告加算税額
1
確定申告
54.3.14
一八、二五二、七四六
二、〇六一、三〇〇
2
更正
54.7.31
一八、二五二、七四六
二、〇五八、一〇〇
3
修正申告
56.2.3
一九、〇六五、六二六
二、六九七、〇〇〇
4
加算税賦課決定
56.4.28
三一、九〇〇
5
再更正及び
加算税賦課決定
57.2.27
四八、九五六、五四六
三四、七四〇、九〇〇
一、六〇二、一〇〇
6
審査請求
57.3.23
一九、〇六五、六二六
二、六九七、〇〇〇
三一、九〇〇
7
同裁決
58.6.27
四六、二九五、五六一
一八、五二〇、三〇〇
七九一、一〇〇
(別紙2の1)
和 解 条 項
一、被控訴人春山は、控訴人所有にかかる別紙物件目録記載の土地(以下本件土地という)のうち、添付図面の赤斜線部分(以下本件明渡土地という)につき本日以降賃貸借契約関係のないことを確認し、右土地を昭和五三年五月三一日限り、右土地上の被控訴人春山所有にかかる別紙物件目録記載の建物(以下本件明渡建物という)を収去して明渡すものとする。
本件明渡建物を収去し、本件明渡土地を更地とするに要する費用は被控訴人春山の負担とする。
二、控訴人は、本日、本件土地から本件明渡土地を除いたその余の土地(以下本件賃借地という)を以下の条項に従い、被控訴人春山に賃貸し、同被控訴人はこれを賃借した。
1. 控訴人は、被控訴人春山が本日から四年以内に本件賃借地上にある同被控訴人所有の家屋を取毀し、右土地上に同被控訴人において転売用の普通建物数戸を各一回に限り新築することを承認する。
右建物は一戸建の住宅とし、アパートないしは共同住宅とはしないものとする。
2. 控訴人は、被控訴人春山において前記1記載の建物の利用のため私道を新たに開設し所轄官公署に対し道路位置指定をうけることを承認する。
ただし、右新たに開設する道路は本件賃借地内において合計五〇平方メートル内外とするものとし、本件賃借地の他の部分と同額の地代を右私道を利用する建物所有者がその専有面積に比例して支払うものとする。
3. 被控訴人春山が前記1記載の普通建物を第三者に譲渡したときは、控訴人は、右建物敷地の借地権を本日から四年間に限り、それぞれ一回のみ譲渡することを承認する。
控訴人は被控訴人春山に対し、右借地権譲渡についての承諾料を請求しない。
4. 被控訴人春山は、本日から四年間に限り、控訴人に対し、本件賃借地の固定資産税、都市計画税等の租税同額を地代として支払うものとする。
被控訴人春山が前記3に従い、借地権を譲渡したときは、控訴人はその譲受人から適正地代を徴収する。
5. 控訴人の被控訴人春山に対する本件賃借地の賃貸借期間は本日から二〇年とする。
被控訴人春山が前記3に従い、第三者に借地権を譲渡したときは、その譲受人との賃貸借期間は右の残存期間とする。
6. 被控訴人春山が本日まで本件土地に関して供託した地代は、控訴人において受領するものとし、本日以前の地代についてはそれ以上の請求をしない。
7. 本日から四年を経過した時は、被控訴人春山は本件賃借地のうち同被控訴人の賃借部分につき、その地代を適正地代に改訂することを承認する。
8. 地代は毎月末日限り当月分を控訴人方まで持参して支払うものとする。
三、 本日から四年を経過しても引続き被控訴人春山において本件賃借地の一部を賃借する場合は、前各条のほか以下の条項に従うものとする。
1. 本件賃借地は普通建物所有の目的で使用するものとし、右建物は住居としてのみ使用する。
2. 地代は、公租公課の増減その他経済事情の変動、近隣の賃料に比較して不相当となつたときは、当事者において増減を請求することができる。
3. 左の場合には控訴人の書面による承諾を得なければならない。
イ 本件賃借地の譲渡または賃借地の転貸をしようとするとき。
ロ 本件賃借地上の建物を改築、増築または大修繕をしようとするとき。
ハ 本件賃借地上の建物、工作物または施設を第三者に譲渡しようとするとき。
4. 被控訴人春山は左の事項を履行することを約した。
イ 本件賃借地に課せられた諸税公課を除き修繕費、排水費その他本件賃借地の使用に必要な経費一切を負担すること。
ロ 本契約の終了後も本件賃借地を返還するまでは毎月最終約定賃料月額の倍額の損害金を支払うこと。
ハ 本件賃借地内で危険有害その他近隣の迷惑となる一切の設備もしくは業務をしないこと。
ニ 本件賃借地上の建物が滅失し、さらに建物を建築しようとするときは控訴人と協議すること。
5. 被控訴人春山は契約解除、建物の朽廃その他の原因により本契約が終了したときは直ちに本件賃借地を控訴人に明け渡さなければならない。
法律上買取請求権を有しないときは、被控訴人春山は自己の費用をもつて本件賃借地上の物件を収去して本件賃借地を控訴人に明け渡さなければならない。
四、 被控訴人春山が左の場合に該当するときは控訴人は何らの通知催告を要せず直ちに本契約を解除することができる。
1. 地代の支払を怠り、その額が三カ月分に達したとき。
2. その他本契約の条項の一にでも違反したとき。
五、 控訴人の被控訴人らに対するその余の請求を放棄する。
六、 訴訟費用は各自弁とする。
以上
(別紙2の2)物件目録〈省略〉
(別紙2の3)図面〈省略〉
(別紙3)
(表1)借地権の取引事例〈省略〉
(表2)取引事例の時点修正率〈省略〉
(表3)場所的価格差修正率〈省略〉
(表4)取引事例比較法による評価額〈省略〉